いとう昌宏が原案を作成した品川区議会意見書、決議の一部
皆様、いかがお過ごしでしょうか? 過日「品川区議会」をネット検索した所
いとう昌宏が原案作成、提案し品川区議会で文言修正後
正式決定し本会議議決した、意見書、決議がありましたので
早速アップします。
まずは「尖閣諸島沖における中国漁船と
海上保安庁巡視船衝突事件における政府の対応に関する意見書」です
尖閣諸島沖における中国漁船と
海上保安庁巡視船衝突事件における政府の対応に関する意見書
去る平成22年9月7日、日本固有の領海である尖閣諸島沖において
違法操業中の中国漁船が海上保安庁巡視船の再三にわたる
停船命令に応じないばかりか、巡視船「よなくに」「みずき」に意図的に衝突させ
日本の巡視船に損害を与えた。
これは11月5日、インターネット上に流出した映像で明らかなように
国際法および日本の法律違反であり
海上保安庁が行った中国人船長の逮捕は極めて正当なものである。
しかし、那覇地方検察庁は当該船長を処分保留により釈放させた。
その後、中国は日本に対し謝罪と損害賠僕を要求
中国国内での反日デモ発生、日中首脳会談が直前にキャンセルされた。
これらの対応が品川区民のみならず、日本国民がもつ自国の領土
外交、安全保障についての認識に大きな不安と混乱を招いた。
そもそも尖閣諸島は、日本政府が何度も現地調査を行ったうえで
明治28年(1895年)1月14日の閣議決定によって日本領に編入したもので
この事実は尖閣諸島に対する世界最初の領有行為である。
また、大正8年(1919年)には中国福建省の漁民が魚釣島付近で遭難し
同島に避難した31人を住民が救助し、全員を中国に送還した。
この救助活動に対し、中華民国の長崎駐在領事から
大正9年(1920年)5月20日に感謝状が届けられた。
感謝状の中には、尖閣諸島がはっきり、日本の領土として記述されている。
中国側は尖閣諸島の領有権を主張しているが、その最大の問題点は
中国が明治28年(1895年)から昭和45年(1970年)までの75年間
一度も日本の領有に対して異議も抗議も行っていないという事実である。
このことは日本の領有が国際法上、正当なものである決定的な論拠となるものである。
よって品川区議会は、中国漁船と海上保安庁巡視船衝突事件における政府の対応に関して
以下の項目の早期実現を強く求める。
1 政府は尖閣諸島が日本固有の領土であることを歴史的経緯を踏まえ、国内外に明確に示すこと。
2 政府は当該事件のビデオ映像を公開し、事実を国民に説明すること。
3 政府は毅然とした外交姿勢を持ち、再発防止策を講じること。
以上、地方自治法第99条の規定に基づき、意見書を提出する。
平成22年11月16日
品川区議会議長名
あて先
内閣総理大臣
内閣官房長官
外務大臣
国土交通大臣
沖縄及び北方対策担当大臣
次に いじめ解決、豊かな心の育成に向けた取り組みの強化に関する決議です
品川区立中学校の男子生徒が、今秋、自殺した。いじめ等調査対策委員会からの報告書では
「一連のいじめは自殺の誘因となったと判断せざるを得ない」と結論付け
学校内で繰り返されたいじめについて
「学校、教員が気づかず、組織として解決できなかった責任は免れない」と指摘している。
こうした指摘を深刻に受け止め、二度と同じ過ちを繰り返すことがないよう強く願うものである。
引き続き、学校現場および教育委員会による対応はもちろん、地域と関係機関が一体となって
いじめ解決に向けた体制を早急に構築すべきである。
そのためには、品川区の子どもたちが自己肯定感を高め、一人ひとりの違いを尊重し合えるような集団づくり
学校づくりを進めること、また、いじめの芽に気づいた際には
学校が組織として対応できるような教師集団を日頃から構築することが急務である。
同時に、保護者はもちろんのこと、大人一人ひとりが子どもたちの心に寄り添い
その温かな心と子どもたちが接する機会を学校内外に育てることで
子どもたちの孤独感を取り除き、子どもたちがたくましく
心やさしく成長することを心から期待するものである。
よって、品川区議会は、社会全体の責任において子どもたちを守り育てるという認識のもと
すべての区民とともに子どもたちの心が豊かに成長する環境づくりに向けて取り組むこととする。
さらに、品川区および品川区教育委員会に対し、いじめに苦しんでいる子どもの救済施策
ならびにいじめを生まない学校づくりに向けた施策等を強力に展開することを求め
二度といじめによる悲劇が起こらないことを期するものである。
以上、決議する。
平成24年12月7日
参考までに「決議」は議会として最高の決意を表すものであり「意見書」は地方議会が
国等に対し文字通り「意見」を提案するものであります。
ちなみに「尖閣諸島意見書」は、品川区議会本会議で「民主党」議員は反対
無所属で議員の1名は退席と記録がありました。